「問いの中に答えあり、答えの中に問いあり。人生は哲学することなく生きていくことはできない。無意識のうちに哲学をしているもの。」
「いったい自分は何者だったのか。人間、死ぬまで価値ある生き方をしていかなければならない。死のふちではなく、できるだけ若いうちから、私は何者か、何を為すべきかと問いかけること」
by斑目氏(旧ネミックラムダ社創業者)
これらは、今日の知の創造勉強会(私の会社で毎月やっている勉強会、毎回著名なビジネスリーダーに登壇いただいている)で斑目さんがおっしゃっていた言葉だ。
人生で初めて密教の教えにふれたわけだが、非常に親近感を覚えた。というのも、密教とは自分自身との対話そのものだったからだ。(だいたい宗教とはそういうものなのかもしれないが・・・)
斑目さんの言葉を解釈すると、
「密教とは」、本当はわからないことでも、相手になりきって考えることでじわじわと感じることができる密なることから学ぶ教え。そのためには、まず、自分自身と対話し、理解することが大事である。
この部分、私の人生観にすごく通ずる部分があった。今でこそ土足で相手に踏み込むような営業(笑)と言われるようなタイプになったが、幼少期に喘息児で病弱、小中ではうまく感情を表現できず悩んだ経験がある。そんな私は、自分自身との対話をよくし、自分はどうなりたいのか、自分らしさとは何かと考え、様々なことにチャレンジをして自分の生き方を模索してきた。
自分自身と正面から対話をしてきたからこそ、今のように自分らしさをしっかり発揮できるようになったと思うし、まだまだ十分ではないが、他人を思いやる気持ちや感謝の気持ちを大事にすることを常に意識している。
自己の生き方は自分で考えるもので、与えられるものではないということ、また現代のように情報がうずまく社会において、何が正解かは本当にわかりにくくなっていて、誰かが言っているからといってそれを信じるのではなく、自分自身で考え判断できるようにならなければダメだ、そんなメッセージにも聞こえた。可能性は自分自身の中にあり、ただ善の可能性も、悪の可能性もあるということを忘れないように、という言葉が刺さった。可能性を活かすも殺すも、自分の志しだい。
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他にもこんなお話が・・・
「知識一辺倒は言葉の形骸化、形式化を招く。ネットが普及しているが、大事なのは心をのせて発信すること。」
「大震災で被災した皆さんの言葉。心から出た言葉を聞いてどう感じたか。感情をのせた言葉、行動は人に響く。このようなことが平素からできればどれだけ良いか。・・・」
努力が必要だが私は実践したいと正直思ったのでした。簡単なことではないですが。
@自宅のソファーにて、この後は読書会に向け「陽明学」
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